「帰ってきてくれてありがとう」
対馬引越し便のアイランデクス、カスタマー担当のIです。
本日は実際に京都から長崎県・対馬にUターン移住した私自身の体験をお話しさせていただきます。
離島へのU・Iターンを現在ご検討中の皆様へ、もし少しでも参考になることがあれば幸いです。
私は18歳まで長崎県対馬で育ちました。高校卒業後は京都に進学、就職後は各地を転勤で回りながら、35歳まで煌びやかな都会で生活しておりました。現在、妻娘々息子の5人家族です。
島という場所は特異な環境で、そこで育った人間は愛島心が知らぬ間に芽生えていることがしばしばございます。
対馬を出てからというもの、テレビで対馬が流れると凝視、ポテトチップスの成分表の中に対馬産の塩を見つけると凝視。「私対馬行ったことあるよ!」と言う方がいたらもう熱視。
なにせマイナーな島なので、頻度こそ多くはないのですが、パブロフの犬のごとく「対馬」に反応してしまうようになっておりました。
心のどこかで島の行末を気にしていたのだと思います。
多感な時期にはその閉鎖的な環境に嫌気がさしていた事もありましたが、しかし、島で暮らした時間と同じくらいの年月を都会で過ごした頃、いつしか島に戻ることを本格的に考えるようになりました。
島に戻るか否かの精神的葛藤や、当時の会社と有休消化についての攻防は割愛しますが、晴れて2021年、長崎県対馬市へ移住完了いたしました。
島に移住して一番印象に残っているのは、「帰ってきてくれたの?ありがとう」という少し切ない感謝の言葉です。
少し見ない間にシワの増えた近所のお婆ちゃんを始め、面識のある方・ない方から一様に感謝されるのです。
「対馬を盛り上げたい」「島民の生活をなんとかしたい」などといった大義を掲げて帰島したわけではありません。
しかしながら、子供たちに芋掘り体験をさせてくれるお婆ちゃんや、お下がりの服を沢山集めて何度も持って来てくださるおばさまがた、釣った魚を不器用にくれるお爺ちゃん。
「歓迎して貰えている」と感じる度に、せめて手の届く範囲の方々だけでも、私たち家族が帰ってきて楽しいと感じて貰えるようにこれからも繋がっていきたいなと思う今日この頃です。
日本全体に言える事ですが、少子化・過疎化は離島にも深刻な影響を与えております。
小学校の減少や、医療といった面に関しては不安を抱くことも少なからずあります。
とはいえ、ICT社会の躍進により従来の学校生活ではコミュニケーション取れなかったような人達とも繋がれるようになり、医療の技術も着実に進化していることで島の抱えるデメリットもまた、着実に解消していることも事実です。
現に、私の学生時代は対馬でユニクロを着ている人間は殆ど存在しませんでしたが、通販の発展により島民のファッションは着実にグレードアップしております。
ちなみに、帰島して1年近くなりますが、大根は2回しか買っておりません。あてにするのは良くないのですが‥とにかく誰かがくれます。
以上の事由により、もしも私と同じように故郷の離島が気になっておられる方、あるいは独特の空気間で暮らす離島生活への興味が留まらない方は、思い切って一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。きっと、島民は歓迎してくれると思います。
中でも対馬への移住をお考えの方は、ぜひ、何なりとご相談ください!
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